明治~昭和 畳の床、板張り床の浸透
近代(明治維新~太平洋戦争終結)日本における住宅は、当初、武家住宅を踏襲したものでした。そのため、家長を中心につくられ、接客のための部屋がもっとも重要な空間として位置づけられていました。
しかし、明治末頃から家族本位の考え方が広まり、いわゆる茶の間が重視されるようになっていきます。
それに従い、板張りの洋室は応接間だけでなくこの居間にも広がっていきました。居間が住宅の中心に据えられ、そこから各個室が繫がる居間中心型と呼ばれる住宅形式もつくられるようになっていきました。
板敷きの洋室は、日本人にとって、伝統的な住宅を近代化するために必要とされたしつらえであり、畳敷きと板敷きの空間をどのように繋げるかという問題は、そのまま伝統と近代をどのように繋げるかという課題でもあったのです。そのせめぎ合いが住宅の中で行なわれていたのかもしれません。
戦後になると、板敷きと畳敷きの比率は逆転していきます。その過程は、テーブルの普及とともにあったといってよいでしょう。日本人の食事は、近世までは畳敷きに銘々膳(箱膳)を置いて摂るものでした。
それが家族本位の考え方が普及するに従い、家族で同時に食卓を囲むことができる卓袱台に変わっていきました。大正から昭和にかけてのことです。そして、さらにそれが、戦後になりテーブルに変わっていきます。そのために、家族の生活の場の多くが板敷きの洋室に変わっていきました。
高度成長期 ビニル系床材が台頭
戦後の復興期、木材は建材としてもっとも合理的なものでした。
しかし、その後、木材の価格は急騰してしまいます。木材資源が枯渇する局面を迎えた結果、政府は1955年に木材資源利用合理化方策を打ち出します。その方策の最初に掲げられたのが、木材代替資源の使用普及の促進です。また、木材資源の確保のために、外材も積極的に使われるようになっていきました。こうした中で、建材としての木材も、表面にプリントや塗装で加工をし、従来の銘木の木目などを再現したプリント化粧合板などが登場してきます。そして、ダイニングキッチンを契機として広まる、日本の住宅の洋室化の中で、大量に必要となった床材に、そうした新建材としての新しい加工材が広く使われるようになっていきました。
また、建材の大衆化は、木材以外の材料の登場も促すことになりました。1950年代より、床材の素材は木質だけでなく、他にも安価で施工が容易なビニル系タイルやビニル床シートなども積極的に使われるようになり、日本における洋室は、必ずしも板張りの床ではなくなっていったのでした。
現在 板張りの床の復興「フローリング」の時代へ
1980年代中頃になると、木質系の床材が再び主流になっていくのです。それは、日本人の住空間に対する捉え方に変化が表れた結果でもありました。経済発展による生活の豊かさをようやく実感できるようになってくると、生活空間にも豊かさを求める志向が強まっていきます。中でも木質系の床材は、日本独自の呼称として「フローリング」と呼ばれるようになり、次第に高級なものも好まれるようになっていったのです。
戦後の日本における住宅は、このようにして、住生活に対する意識の変化とともに新しい床材を生みだしてきました。戦後の日本人にとって、住宅の床とは、もっともその生活意識を表すものであったといえるでしょう。
参考文献
中川理氏「日本人の暮らしと木の床の文化史」(『Essence of Live Natural』より)[縄文〜平安時代] 床が日本人の暮らしに与えたもの
[鎌倉時代〜明治維新前後] 床が日本人の暮らしに与えたもの
[明治時代〜現在] 床が日本人の暮らしに与えたもの