人間の感度を引き上げる「木の床」の可能性 | フローリング総合研究所
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2019.02.27

人間の感度を引き上げる「木の床」の可能性

グラフィックデザイナー
原研哉

1958年生まれ。グラフィックデザイナー。日本デザインセンター代表取締役。武蔵野美術大学教授。アイデンティフィケーションやコミュニケーション、すなわち「もの」ではなく「こと」のデザインを専門としている。2001年より無印良品のボードメンバーとなり、その広告キャンペーンで2003年東京ADC賞グランプリを受賞。近年の仕事は、松屋銀座リニューアル、梅田病院サイン計画や、森ビル、蔦屋書店、GINZA SIX、ミキモトVIほか。展覧会「HOUSE VISION」、長野オリンピックの開・閉会式プログラムや、2005年愛知万博の公式ポスターを制作するなど国を代表する仕事も担当している。また、プロデュースした「RE DESIGN」「HAPTIC」「SENSEWARE」などの展覧会は、デザインを社会や人間の感覚との関係でとらえ直す試みとして注目されている。外務省「JAPAN HOUSE」総合プロデューサー。主著『デザインのデザイン(DESIGNING DESIGN)』は各国語に翻訳され、世界に多数の読者を持つ。

https://www.ndc.co.jp/hara/

繊細な感覚と清潔さは日本の資源である

日本の暮らし、住環境における最大の特徴ともいえる「靴脱ぎ」。
しかし、靴を脱いで生活しているのは何も日本人だけではありません。僕たちが中国で行なった1年間にわたる調査で、中国でも「玄関で靴を脱ぐ」という、いわゆる靴脱ぎの文化がどの家庭でも見受けられることがわかりました。
中国と日本における「靴脱ぎ」―その違いは上がり框にあります。中国の家にはこの上がり框がありません。上がり框がなければ人も台車もスムーズに家の中に入ってくることができて合理的ですが、一方でそれは家の中と外とを隔てる明確な境界線がない、ということも意味しています。埃や土が入ってこない、清潔さの度合いを決定的に切り替える「明快なけじめのつけ方」が上がり框にはあるのです。

それだけではありません。靴脱ぎの習慣はそのようなワンランク上の清潔感を醸成するのみならず、繊細な身体感覚をも養っています。足裏の感覚とでも言えるでしょうか。足の裏をくすぐるとくすぐったいと感じるのは、それだけ足の裏には鋭い感覚があるということ。古来、二足歩行で生活してきた人類にとって、足の裏から受け取る情報は重要な意味をもっていました。唯一日常的に地面と接する足裏の感覚は鋭敏で、昔の人々は素足で地面を踏みしめながら「ここを掘ると水が出る」、「ここの地盤は固い」とさまざまな情報を読み取ってきたのです。

情報化社会と呼ばれる現代にあって、僕たちはともすれば咀嚼されない断片的な情報に振り回され、膨大な情報をシャットアウトしようとしがちです。しかし、僕たちはまだ、もちあわせたこの鋭敏な感覚を使いきれていないのではないでしょうか。本来、人間の感覚はもっと繊細で多くの可能性を秘めています。素足の感覚を取り戻すことでもっと本質的に豊かな情報を受け取り、そういった感覚を楽しむことが必要です。

人間にとって足裏の感覚で「心地よい」と感じるものには、目には見えない「価値」があります。以前、バリ島に行った時にインテリアデザイナーの杉本貴志*1さんが薦めてくれた古いホテルには、庭全体に古い石が敷き詰められていました。長い年月、人間が歩いて摩耗した石の庭は、ゆるやかに凸凹していて、その感覚が何とも心地よいのです。素足で歩くと、足裏がすごく喜んでいるのがわかる。足裏を喜ばせてくれることが快適さにとっては重要です。

それは接地しているのが床でも同じこと。
靴を脱いで室内に上がるという優れた文化をもつ僕たちは、足の裏をスリッパでシャットアウトしたりせず、床をもっと楽しんでいく必要があるのではないでしょうか。

(*1) 杉本貴志(すぎもと・たかし)…1945年東京都生まれ。東京藝術大学美術学部工芸科卒。株式会社春秋 代表取締役社長(株式会社スーパーポテト 代表取締役)。1973年にスーパーポテトを設立。インテリアデザイナーとして西武100貨店ほか、数多くの作品を手がける。1984年度の毎日デザイン賞を皮切りに多数の賞を受賞。株式会社春秋は1986年設立。飲食にクリエイターの発想を取り込んだ第1人者。1992年より武蔵野美術大学造形学部空間演出デザイン学科の主任教授。主な作品は「西武100貨店」、「無印良品」各店、「パークハイアットソウル」、「ハイアットリージェンシー京都」など

家の「編集権」が住まい手に移っていく

「家をつくる」ということを考えたとき、一から「家を建てる」ことは難しくとも、家を構成するさまざまな素材や機器を自分で選び、家を「編集」していくことで「家をつくって」いくことはできます。いろいろな素材をうまく取り入れ、組み合わせながら1つにまとめていく、いわば「家の編集者」となるのです。

家を編集するのは建築やデザインの専門家だけではありません。今は、自分たちの幸せは何かを見定め、それを住まいの中でかたちにしていける「住宅リテラシー」をもった人が増えてきています。ここでいう「リテラシー」とは、読み書きの知識や能力といったことではなく、1人ひとりが自分たちの生活スタイルを理解し、自分の住まいを自分でつくっていくことのできる能力です。そうしたリテラシーをもった人々が増えることで、既に出来上がっている家を購入するのではなく、自分の生活スタイルを把握し、編集してつくられた家というものが、今後増えていくのではないでしょうか。

入り幅木

壁面より内側に幅木を納める工法。すっきりとして高級感がでる。また、通常の出幅木に比べ、納め方が難しく、壁材の下端(材料を水平に使用した際、下方に面した部分)も損傷のないものを使用する必要がある。

家の編集にはいくつかポイントがあります。特に、内装の空間をきれいに見せようと思った場合、床と壁の接し方、接合面を意識することが重要です。
日本は施工精度が高いため、何もない空間でも床と壁の接合がビシッと仕上げられていると、それだけですごく美しく豊かな空間が立ち上がるのです。

例えば、堀口 捨己*2いう建築家がいました。
床と壁の接合面などの端部の処理、床や天井の境界面、窓の桟の流れなどを研究していたのですが、その研究成果は近代建築の世界的巨匠であるル・コルビュジエなどのモダニズム建築にも勝るものでした。
しかし、現代の建築家はどちらかというと西洋寄りに走ってしまい、堀口捨己のような極細部の丁寧で繊細な始末などを忘れがちです。空間を美しく見せようとするのであれば、幅木を使う場合でも、床や壁材と材質を材質をそろえることや、入り幅木を用い、壁の内側で納まるようにして床と壁の接合面が見えないようにするという方法もあります。こうしたちょっとしたことに気を遣うだけで、空間に連続性が生まれます。そうしたディテールの納まり方が空間の質を決めたりするのです。

こうした知識を多くの人がもつようになると、建築がもっと面白く見えてくるのではないでしょうか。

(*2) 堀口捨己(ほりぐち・すてみ)… 建築家。日本建築の伝統を生かした住宅などを多数設計。茶室建築の権威としても知られ、『利休の茶室』(岩波書店)、『住宅と庭園』(鹿島出版会)など多数の著書も手掛けている

そして家の編集のポイントは何といっても「素材の知識」です。彫刻家イサム・ノグチ*3は治石の彫刻に失敗しても、石は放っておけば「治る」のだといいます。「治る」というのは、その模様に慣れ、だんだん好きになっていくという感覚に近いのかもしれません。それは木も同じことで、天然の木目は運命です。

天然のものはプリントされたシートフローリングのように自分の好みを完全に再現することができないため、必ず気に入らない部分や「もっとこうあってほしい」と思う部分が出てくるものです。それでも運命として、出会ったものとの一期一会の関係というのは格別な気持ち良さを醸成します。

このようにしていろいろな素材がもつ可能性を考えながら、家を編集していくと、自分が大事にしている暮らし方、ライフスタイルの芯のようなものがしっかり立ち上がってきます。それは、やがて、自分自身の小さな誇りとなって育ってくるのです。おしゃれなレストランで食事をするのも人生の楽しみ方ですが、自分の家の暮らしをどう楽しめるかを考え、そのための素材を考え、家を編集していくというのはもっと大きな楽しみであり、追求しがいのあるテーマでしょう。

(*3) イサム・ノグチ…彫刻家、画家、インテリアデザイナー。ロサンゼルス出身の日系アメリカ人で、三歳の頃来日。庭や公園などの設計から家具、照明といったインテリア、舞台美術など幅広く手掛ける

人生を仕上げるための家をつくる

日本の未来の「家」を考えるときに、日本がもつ潜在的なマーケットが大きな意味をもってきます。

日本では50~60代の人たちが、もっとも預金残高を多くもっていて、しかもタフに、健康でクリエイティブな生き方をしようとしています。このマーケットの人たちが、これから人生を仕上げるための自分が楽しめる家をつくっていく可能性があるのです。
これまで、日本人は平均すると約3000万円もの預金を残したまま亡くなるといわれていました。しかしそうなると次世代が、極めて高額な相続税を負担しなければならなくなります。そうなるよりは、人生の仕上げともいえる家を設えて、それを見た次の世代の子どもたちから尊敬されることのほうが幸福度は高いかもしれません。

もちろん35歳前後で、はじめて自分の家をもつという1つめの山はなくなることはありませんが、そこに50代以降の大人が、本当に自分の人生を楽しむための家をつくるという第2の山ができれば、「家」と「日本」の未来は大きく変わると思うのです。

アクティブなアウトドアの趣味がなくとも、自分の家を素材から考え、選び、編集する。例えば、庭に小さな石垣を自分でつくってみるようなことや漆喰の壁を自分で仕上げてみること、床と壁に連続性をもたせた何もない部屋をつくることでも、そこには自分の家を自分で設える豊かな喜びが待っています。
囲炉裏が欲しい人は、囲炉裏をつくればいいし、壁を図書館のようにした家がつくりたいならそうすればいい。それが自分なりの工夫でできる、そういう余力をもったアクティブな世代が日本には潜在的にいるのです。

それは旧来の「ステータスシンボル」としての家づくりではなく、あくまで自分にとって何があれば幸せかということを自然体で考えるところから生まれるものです。家が豊かなのではなく、暮らしそのものが人間的に豊かで幸せであるということです。

そうした幸せをもつためにも、もっと「素材」への興味をもち、教養を豊かにしてほしいと思います。自分で構想し、自分で設えた家であれば、そうした素材を手入れしながら暮らすことも、人生の豊かさに繫がります。
そうやって自分でつくった家に誇りと喜びを感じながら住むのか、与えられた家で何も感じずに住むのか。そこに日本の家の未来、床・壁・天井などの素材の未来があるのではないでしょうか。

インテリアのプレーン化と高まる素材の重要性

一方で、インテリアデザインの世界は今、家の中をプレーン化していく方向に進化しています。プレーンウォール  ―  つまり、平坦な壁になっていくという世界観です。

例えばシステムキッチン。冷蔵庫も食洗機も電子レンジも引き出しも、今はすべて壁に集約されています。これでも日本は欧米に比べて遅れているほうですが、このような世界観にあって、まな板や調理台といった「壁化されない」対照的なもの、すなわち素材そのものが露出し経年変化していくものに新たな魅力が宿っていっているように思うのです。

完全フルフラットの壁とオールドチークの波打つ古材。プレーン化されればされるほど、プレーン化されないものは、どんどん素材そのものが重要になってきます。機能性や合理性を追求し、できるだけ存在を主張しないようにフラット化していくハイテクな住宅機器とは逆に、家の中で露出する素材は、自分で選んだものが経年変化していく喜びを与えてくれます。

近年、若い人々の間で空間に対する美意識が高まっているような気がするのは、例えば、一時期は古臭いものの代表のような扱いをされていた「床の間」が、今や若い人々の注目を集め、暮らしの中に取り入れたいという人を見かけるようになったことからも証明できます。漆などの工芸品を好んで使用している人も多く、日本は今、世界の中でも現代の工芸作家が多く誕生している国です。

日本古来の「床の間」や伝統を受け継ぐ工芸品に共通しているのは、テレビやエアコンなどの工業製品と違って「壁化」できないことです。ハイテクの方向に進化するものは、薄型化し壁化していきます。しかし、茶碗や皿は壁化できません。なぜなら、物質としての茶碗の手触りがなくなってしまえば、素材の気配を消してしまうからです。ざらざら、ごつごつとした手応えが素材の魅力を与えてくれているのです。

素材のもつ質感が人間の肌に伝わらない床になってしまっては、足裏の感覚もなくなってしまうということです。
木の床は古いものというクラシックな世界観で考えるのではなく、これからの人間の繊細な感覚や美意識を育みつつ、未来的な生活環境をつくるものとして考えるべきなのです。

古くて新しいしっとりとした未来

未来は必ずしもハイテクのピカピカしたものとは限りません。しっとりとした未来というのもあるのです。具体的には、木の古材のように、年月を経て「しっとりとした味わい」のあるものが、かえって未来的な新しさを醸し出すこともあるということです。

「未来素材は古材ですよ」
アーティストの杉本博司*4さんが「HOUSE VISION」に参加したときにおっしゃっていたのですが、古い素材もハイテクの新素材と同様に価値を生み出す素材になります。
杉本さんは2008年に「新素材研究所」を立ち上げられました。そこでは「伝統的な素材がいちばん新しい」というアイロニックな考えのもと、古材や古典技法を取り入れ、現代の住空間を「新しく」施工しています。

例えばシンガポールで20億円の価値がある住空間をつくろうとすれば、ダイヤモンドのシャンデリアを吊り下げるような方向にいくかもしれません。
しかし日本の場合は、床柱に天平時代の古材を用いることで同じ価値を生み出すことができます。経済発展を遂げ、暮らしが豊かになっただけでは、伝統を受け継ぐ価値ある住空間を創造することはできません。
きっとシンガポールの人々から見れば、冷泉家(公家。藤原定家を祖先にもつ歌道の家)にイメージされるような日本の歴史には敵わないと感じ、そんな日本の人々から「家とはこういうものだ」と言われれば逆らえない  ―  そういう感覚があるはずです。

日本には、日本人が感じる以上に素晴らしい伝統があります。それを生活の中にいかに落とし込めるかが求められているのです。

現代の日本の木造建築は、ハイテクと伝統が一体になっています。そこから生まれる「奥ゆかしさ」に、新しい未来を見いだすことができるのです。
日本では、21世紀の今も、外と内を区別して家の中では直接、床と足の裏が触れる暮らしをしています。その分だけ、外からの穢れを内に入れることなく、清潔感が保たれています。そうした環境で醸成される未来とは何か。それは「環境と身体の対話ができる家」の誕生です。暮らす人の行動や体から発せられるさまざまな情報を、家が感知し、最適な環境を双方向からつくりだすことによって、身体と対話できる家が生まれるというのも夢物語ではありません。

日本の半導体メーカーなどを取材していると、さまざまな物理的、化学的情報を検出・測定する技術は非常に進歩しています。人間の体の脈拍・血圧・体温・体重などの情報を、日々の生活の中で床などを通して感知して分析したり健康管理に役立てることは技術的には十分可能です。

考えてみれば「床暖房」も、古くて新しい未来を体現したものかもしれません。木質の床材を使った床暖房なら、表面は人間の肌に近いところでの〝手応え〟のあるものを使い、見えない内部には、床の上で暮らす人を快適にするテクノロジーが詰まっている。そう考えると、木の床というのはクラシックな世界ではなく、とても未来的な生活環境をつくりだすものといえるかもしれません。

(*4) 杉本博司(すぎもと・ひろし)…1948年東京都生まれ。東京とニューヨークを活動の拠点とする写真家。作品は厳密なコンセプトと哲学に基づき作られている。8×10の大判カメラを使い、照明や構図や現像といった写真の制作過程における技術的側面も評価されている

人間の感覚を研ぎ澄ます木の床の可能性

中でも、「木」という素材には非常に高いポテンシャルがあると考えています。実は本当に素晴らしいデザインというのは、びっくりするような過剰な造形のことではなく、相手の感覚を引き出し研ぎ澄ますことのできる最小限のデザインのことだと僕は考えています。大げさな造形をしなくとも「この木の素材感がいいな」と思った瞬間に、素晴らしいと感じる力が10倍にもなる。木という素材が人間の感度を引き上げてくれるのです。
つまり過剰なデザインをしなくても、受け手の感覚次第で素晴らしいものができあがるのが「木」の素材を使ったときの面白さです。長い間、つくり手が「これはどうだ」とゴージャスに造形やデザインを押してくる時代が続いてきたせいで、その良さと面白さが見えなくなっていましたが、今は、受け手である住まい手が感じる力を取り戻してきています。

例えば、煌々と明るい場所よりも暗闇にいるほうが音や匂いに敏感になるのと似ているかもしれません。僕も経験がありますが、あえて暗闇の中で食事をすると、お碗に盛られたご飯が置いてあるだけでも、匂いや温かみ、湯気まで感じられるような気がします。そして暗闇でお碗を手に取り、ご飯を口にした瞬間に、あらゆる感覚が解放されるかのようになり「こんなに白いご飯がおいしかったのか」と驚いたのです。

これは、何も特別なお米を使ったご飯ではなく、素材が人間のもつ感覚を引き出してくれているのです。余計なものをそぎ落として素材に対する感度を上げることで、これまでに感じられなかったものが感じられるようになる。木という素材にもそういった力があると思うのです。

木の世界でいいと思う。木の床は人間の感覚を引き出し、何倍にも研ぎ澄ます可能性を秘めた素材です。

過剰なデザインをしてそれ自体の造形に感覚が負けてしまうようなものではなく、相手の感覚に訴えかけ、感覚を引き出すようなデザイン。僕はそんなデザインをつくる人間でありたいと考えているのです。
自分の生活の喜びとなるものを、みんなが自分の手で設えるようになると世の中も変わっていくと思うのです。今の時代は、自分の生き方にどこか自信のもてない人が 多くいますが、自分の家をちゃんと自分でつくれたという小さな誇りをもつことから、生き方への自信も生まれてくるかもしれません。そうした変化を日本中の産業同士が垣根を超えてつかみとることは、これからの課題であり楽しみなことでもあります。

多様な産業が関わる「家」を新たな日本の産業ビジョンの交差点にして、古くて新しい素材の力を活用していく。そこにこそ、日本の家と床の本当の未来があると思います。

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